第367回 黄金に輝くお仏壇


               平成12年 2月 3日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

お念仏を喜ばれた詩人、金子みすずさんのことは、
何度か紹介しましたが、こんな歌があることを知りました。


お佛壇という童謡です。


お背戸(せど)でもいだ橙(だいだい)も

町のみやげの花菓子も、

佛さまのをあげなけりゃ、

私たちにはとれないの。



だけど、やさしい佛さま、

ぢきにみんなに下さるの。

だから私はていねいに、

両手をかさねていただくの。



家にやお庭はないけれど、

お佛壇にはいつだって、

きれいな花が咲いている。

それでうち中あかるいの。



そしてやさしい佛さま、

それも私にくださるの。

だけどこぼれた花びらを、

踏んだりしてはいけないの。



朝と晩とにおばあさま、

いつもお燈明(あかり)あげるのよ。

なかはすっかり黄金(きん)だから、

御殿のように、かがやくの。



朝と晩とに忘れずに、

私もお禮(れい)をあげるのよ。

そしてそのとき思うのよ、

いちんち忘れてゐたことを。



忘れてゐても、佛さま、

いつもみてゐてくださるの。

だから、私はそういふの、

「ありがと、ありがと、佛さま。」



黄金の御殿のようだけど、

これは、ちひさな御門なの。

いつも私がいい子なら、

いつか通ってゆけるのよ。


この童謡は、お念仏を喜ぶ家の、お仏壇を歌ったものです。
よそからもらったものも、町で買ってきたものも、
それはかならず、まずお仏壇にお供えし、それから両手を
合わせ、お下がりをいただいた思いで、金子みすずさんの
素晴らしい体験です。


庭があるような大きな家ではなくても、お仏壇にはいつも、
きれいな花が生けてあるので、家の中はいつも明るく、
朝と晩にはお燈明をあげると、お仏壇の金箔が輝いている。


朝晩のお礼をしているときにいつも思うのは、佛さまのことを
一日中忘れていた私であるのに、仏さまはいつも見ていて
くださることを、そして、お仏壇はお浄土へ通じる門なのだと
いうのです。

小さいときに亡くなった、お父さんが往生された、お浄土へ
つながる門であると歌っています。


お念仏を喜ばれたお祖母ちゃんやお母さんの姿を見ながら
育ったからこそ、この歌が出来たのでしょう。


「ありがと、ありがと佛さま」の言葉に、家庭の中心に、
生活の中心にあったお仏壇が目に浮かぶようです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月10日に新しい内容に変わります。


  

              
大乗  平成12年2月号

                       中川真昭師著 参照
           (JULA出版局「金子みすず全集」)